偏向報道に対する反省と、罪と罰について。

政治

最近、たまにだが「そこまで言って委員会NP」をTVerでみている。
かつてたかじんさんが司会者だった頃、筆者は地元広島にまだ住んでいたのでよくみていた。

たかじんさんがいなくなってからは面白さを感じなくなったのでみなくなったけど。

事件&犯罪の専門家集合!釈然としない事件SP!というのが、現在見逃し配信でみれたので視聴した。

各事件に対して思うことがあるが、殺人事件に関しては被害者とそのご遺族のことがあるのであまり言及したくない。

心からお悔やみ申し上げます。


ただ、どうしても腑に落ちないというかモヤモヤしていることがいくつかある。
その中から2つだけ。


1つ目は番組の中で本村弁護士が「心神喪失かどうかは非常に重要なことなので…」と言っていた点。

よく裁判の話の中で心神喪失かどうか、責任能力の有無といったことが議論されるが、どうしてこの点が重要なのだろう?
恐らく同じ疑問を抱いている人もいると思うが、
筆者の考え方では精神状態というよりも”罪に対しての罰”なので、精神状態が論点になることに疑問を抱いている。
罪に対して罰を受けることで罪を償うというシステムが法だと思っているのだが、違うのだろうか?

たしかに、子どもが犯罪を犯すと大人とは刑が違う。
これも責任能力というか判断能力が低い子どもの犯罪だからということになるのだろうが、同じ考え方になるのだろうか?
ただ、筆者としてはそれに対しても「ナゼ?」の疑問を抱いている。

判断能力が低かろうが責任能力が低かろうが、重罪に関してはやったことに対する罰は受ける方が本人のためであると考える。
体で覚えるではないが、無罪や罪が軽くなるということは、これはやってはいけないことというのを学ぶ機会、更生の機会、社会復帰の機会のすべてを奪っているのではないだろうか。

子どもでも残虐な殺人事件は起こすし、詐欺事件を起こしたり売春グループの主犯にだってなる。
簡単に年齢では区切れない。
子どもは時に大人よりもよっぽど冷酷な大人なのである。


それに精神医学というのはそんなに進んでいるものなのだろうか?
精神科医の判断が、何人もの裁判官、陪審員、検察・警察、弁護士などの判断、捜査、調査を超えられるものなのだろうか。

医学というものはあらゆる分野で反対の論文が存在すると考えると、こういった事件の被疑者に対する診断には、裁判のように多角的な視点で議論がなされなければ決められないのではないだろうか。


少し古いが法務省の資料が出てきたので、読んでみたが精神疾患により責任能力が認められないと無罪になるのは「ナゼ?」の疑問は解消できなかった。
https://hakusyo1.moj.go.jp/jp/32/nfm/n_32_2_1_2_6_2.html
平成 3年版 犯罪白書 第1編/第2章/第6節/2

厚生労働省のHPには心神喪失者等医療観察法というものが載っていた。
これによると、心神喪失又は心神耗弱の状態で重大な他害行為を行い、不起訴処分となるか無罪等が確定した人に対して、検察官は、医療観察法による医療及び観察を受けさせるべきかどうかを地方裁判所に申立てを行うということらしい。

心神喪失者等医療観察法
https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/hukushi_kaigo/shougaishahukushi/sinsin/gaiyo.html

手続き上、申し立てとなるのはなんとなくわかるのだが、
本人が犯人であると確定している場合に関しては、問答無用で入院はマストにしてほしい。
心神喪失状態で殺人の罪を犯した人が、今は通院で大丈夫っていう場合はあり得ないのでは。

精神疾患の人に厳しく書きすぎているつもりはない。精神疾患があるからといって必ず殺人を犯すわけでもない。
お金に困っている人が必ず強盗をするわけではないことと同じだ。

犯罪を犯した精神疾患者は、心神喪失状態となり罪を犯すまで放置され、無視されていたということだ。
この環境は大問題だと思う。


2つめは、遺族の供述調書から述べられたことに対する番組側の意見について。

(遺族の真意とは別で場外で語ることについては申し訳ないと思う。
ここでは以前より問題視されている偏向報道についてのマスコミの歪みの片鱗が感じられたので、それについて述べたい。)


「3度目は週刊誌などの報道によって“自分の父は死んで当然”かのような世論が形成されてしまったこと。」と遺族は語ったというが、
それに対して番組では、「報道に関しては被害者のマイナスイメージに繋がるからといって殺意に繋がる事実までは伏せるべきではない。報じる側と受け取る側のモラルの問題である。」とした。

これには大いに疑問を感じた。

番組は「殺意に繋がる事実までは伏せるべきではない」と言っているが
遺族の供述調書から語られたのは「報道によって“自分の父は死んで当然”かのような世論が形成されてしまったこと。」といっているので、話がかみ合っていないと思った。

筆者はこの「世論が形成されてしまったこと」の部分が偏向報道問題の論点だと考える。

マスコミは持っていきたい世論、イメージに対して過熱報道を行う。
そうして偏向報道を行っておいて、間違いに気づくとまるで何もなかったかのように突然報道をやめたり真実を報道しなかったりする。

嘘はついていないつもりなのだろうが、
そう聞こえるように印象操作をしたり、真実を隠すことが大問題なのだ。

この件に関する番組の見解はそれがまるで理解できていないと感じた。

反省する気がないのではなく、そもそも間違いに気づいていないのだ。
自分たちは正義だと。

悪いと思っていないのだから、もちろん治る見込みはなし。

そのうえ、偏向報道をしようが何だろうが「受け取る側の問題でしょ。」と言わんばかりだ。
自分で言ってるのにね。
モラルの問題だと。


番組側からしたら「うちの番組はそういう偏向報道はしていません。」と言いたいところだろうが、このような意見を述べるのであればもっと偏向報道の問題提起を深く行ってからにしてほしいところだ。

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