筆者は既婚者だ。
結婚をした当時に勤めていた会社では、名前入りの会社のメールアドレスを変更できないこともあり、取引先や顧客に対して無駄な混乱を避ける意味から旧姓のままで就業していた。
男性はほとんどの場合で自身の名字が変わることはないので、正直この議論については興味がないかなぜこの議論があるかを考えたことがない人が多いのではないだろうか。
よほどの左派思考でもない限り、名字について考えるということはないと思う。
では女性はどうだろう。
女性の場合、日本では結婚するとほとんどの場合は夫側の名字に変える人が多いだろう。
それでも、名家の跡継ぎでもない限り、夫とどちらの戸籍を選択するかというのを議論したことがある人はほぼいないのでは?
筆者には兄がいるが、兄は若いころに家を出て行ったきりだ。
そのため、名家の生まれでもなんでもないが、なんとなく父のために家を継いだという形をとってあげたくて旧姓を残すか少し考えた。
ただ、一方的に結婚したいといってゴリ押しした前提もあり、そんな大した理由もなく夫に名字まで捨てさせるのもなんだか我の強い女な気がして嫌だった。
名字が変わってみるとなんてこともない。
むしろ女性なら好きな人の名字と自分の名前を並べてみたりして、一度は憧れたことがあるのではないだろうか。
新婚の頃は夫と同じ名字で呼ばれることが嬉しかった。
最近は、もはや旧姓を忘れつつあるレベルだ笑
筆者の友人には、どうしても自身の生まれたころからの名字に愛着があり変えたくないという人がいて、妻側の姓を選択した。
筆者の夫も婚姻届のどちらの姓をとるかというチェック欄を見て「どっちでもいい。選んでいいよ。」とあっさり答えた。
男性も大してこだわりがある人は少ないのだろう。
だからこそ、なんとなくみんな慣習で夫側の姓を選択するのだ。
大して誰も気にしていないという印象。
では、なぜ選択的夫婦別姓制度が議論されているのだろう。
そもそも論で選択的夫婦別姓制度の議論とは何かというと、民主党・立憲民主党から提出された民法改正案。
【政策解説】立憲民主党は選択的夫婦別姓の実現をめざします(2022年6月21日)
やはり議論の発端となるのは女性側がほとんどの場合で改姓をするところだろうか。
ただ、夫婦別姓制度を推進する理由に書いているような「女性差別」には当たらないと筆者は感じる。
前述の通りで誰も大して気にしていないから慣習として男性側を選択する人が多いというだけで、法律で男性側の姓を選択せよということにはなっていない。
婚姻届というただの紙切れにチェックを1つつけるだけの話だ。
ちなみに、筆者は父から言わせればフェミニストらしい。
筆者自身はフェミニストというより単純に男女対等に扱ってほしいと思っているだけなんだけれど、そのフェミニストの筆者が女性差別だと思わないので、ほとんどの人はそう思わないのでは?w
改姓する上で大変だったことは、銀行だの会員登録だのすべての名前変更の手続きを行ったこと。
これが本当に、ネット時代・データ時代は大変。
何でもかんでも会員登録なので、どのサイトに登録されているかなんて覚えていない。
重要な保険・金融関連やよく使うサイト、会費が毎月発生する系のものなどはとりあえずリストアップして手続き。
あとはクレジットカードで支払いをしているものは、カードが変わるので軒並み変更手続き必須。印鑑も新しく作り直したり。
意外と忘れそうなのが携帯キャリアの手続きだった。
まぁ、それを乗り越えればあとはなんてことはない。
改姓したことで不便があったとすれば、メルカリ。
売上金の口座振込を手続きしようと思ったら、身分証が旧姓になっているから駄目だと言われて手続きができなかった。備考欄にきちんと新姓が記載されているにも関わらず、備考欄では駄目だと。
自分で手書きしたわけでもなんでもなく、公的手続き上、備考欄に新姓が記載されるものなのにw
困ったことはそんなくだらない話くらいだ笑
すべてではないものの資格関連やマイナンバーカードなど一部では「旧姓併記」ができるようになっているそう。
だが、日本弁護士連合会は夫婦同姓を義務付けている現在の法律は憲法第13条の「婚姻の自由」を不当に制限するものであると主張している。
誰もが改姓するかどうかを自ら決定して婚姻できるよう、選択的夫婦別姓制度の導入を求める決議2024年(令和6年)6月14日日本弁護士連合 会
多様性に対応していないとか。
…そうか?
そんなに名字変えたくないなら結婚しなければいいし、結婚しても名字を変えたくないなら夫に変えてもらえばいい。
何度も言うが、こだわっている人は少ないw
多様性をいうのであれば、婚姻制度にこだわらない方が正しいと筆者は思う。
婚姻制度なんてものは、ただ戸籍を一緒にするだけのことなのだから。
日本では結婚=婚姻届が受理されることと考える人も多いかもしれないが、海外では神様に誓いをたてることが結婚だったりする。婚姻届は書類上の手続きでしかないのだ。
平成28年度内閣府委託調査の資料でみても、大して旧姓の使用にこだわっている人が多いとは言えなさそうだ。
また、世界の制度と比べて…という話をこの議論では持ち出されがちだ。
世界では夫婦別姓は普通とか、戸籍は個別で持てばいいとか、日本の戸籍制度自体を見直すべきとか。
だが日本の戸籍制度は世界に類を見ない素晴らしい制度だと思う。
どこのだれべぇ
というのが分かるのである。
いつ生まれて、どういうご先祖さんがいて、どの人と遠戚だなんてことも辿ればわかる。
筆者が子どもの頃なんて、中国で百●●歳の長老見つかる!なんてニュースがあったりしたが、戸籍制度がしっかりしておらずそれを証明することはできなかった。
要するに本人談でしかないのだ。
戸籍制度が確立しているのは素晴らしいことであって、わざわざ良いものを捨てる必要はない。
そのうえ、これは途切れさせてしまうと復活させるのは不可能。
辿れなくなるから。
日本では当たり前すぎて理解できていないが、身元が保証されているということが実は安全上とても大切なことだと思う。
戸籍が辿れなくなるということは身分が保証されない。
どこのだれべぇというのが分からない人で溢れかえった世の中、怖くないだろうか?
あなたをあなたと証明するものや保証するものは何もない。あなたの隣にいる人も。
それでも夫婦をわざわざ分裂させる必要性がある理由は、議論のどこにも見当たらないと筆者は感じる。
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