NHK大河ドラマ 光る君へにドハマりしている筆者はかしまし歴史チャンネルさんで今週も振り返り。
『光る君へ』第32回「誰がために書く」雑談
以前の記事でも書いた通り、藤原為時パパがまひろに言った「お前がおなごであって良かった。」という言葉に感泣した人も多かったのではないだろうか。
筆者はこの言葉を聞いたとき、為時パパのこれまでの「お前が男であれば」というセリフから、
優秀なのにもったいない・可哀そうだという風にまひろを見ていたから、出仕することが決まったまひろを励ますために”誇らしく思っているぞ”という意味で送った言葉だと思った。
そのくらいにしか受け止めていなかった。
かしまし歴史チャンネルのメインスピーカーきりゅうさんは、
「昭和のさ、こざかしく勉強なんかができる…、”女なんか勉強しなくていいんだ。大学なんか行かなくていいんだ。”という時代を生きてきて、それでも勉強したいと思ってずっと来た時代の女性だから…(中略)、出来がいいばっかりに逆に男であったらよかったのに、なんで女なんだよって言われ続けてたのが…」というお話をされていた。
なるほど。
現在でも日本では女性と男性の社会的地位や収入の格差があるといわれているが、筆者は平成生まれなのでそこまでヒドイ格差を感じたことは少ない。もちろん”女だから”ということを理由にされていろいろと不自由したことはあったし、今でも感じることはある。
ただ、勉学において「女のくせに勉強なんてできなくていいんだ。」というようなことを言われたことはなかった。
色々とやりたいことがあって悩んでいるときに、父には「それよりも花嫁修業をしろ。」と言われたことはあるが、半分本気で半分冗談だった。
むしろ今も昔も、好きなことがあるなら大学に行って勉強をしろと言ってくれる。
友人はいつも成績上位の筆者を自慢の友達と言ってくれていたし、
テストの採点が終わって戻ってくる度に筆者の席にやってきては勝手に点数を比べて一喜一憂している男子がいたが、”女のくせに”という感情は皆無だったと思う。
たしかに巷では”男はバカな女が好き”なんていわれるが、本当に頭が悪い女が好きなのではなくて、単純に自分の自尊心を満たしてくれる女が好きなだけだ。
日本人の男は臆病な自尊心をもつ山月記の李徴タイプが多いのかも。
※ちなみに、筆者はこの山月記という物語を学んだ時から自身はまさに李徴だなと思っていた笑
勉強ができるからモテないのではなく、相手を喜ばせる気持ちよりも先に知識が前に出てしまう人がモテないのではないだろうか?
よく女性の話は共感してほしいだけでアドバイスは求めていないなどというが、男性も同じだと思う。
そうだよね、ヨシヨシ。
あなたは正しい。あなたはすごいわよ。
なんでもよく知っているのね。かっこいい!
と言ってほしいのである。
実際に仕事ができて収入がそこそこある男性はパートナーとなる人には同じくらいの収入や才能を求める人の方が多いと感じる。
アドバイスを求めているのか、ただ話を聞いてほしいだけなのか、
学問ができるできないではなく、コミュニケーション能力の問題だろう。
話を戻すと、女性が学問を習得することに壁があるかというと現在の日本ではさほどないのではないだろうか。
女性は大学ではなく短大みたいな風潮も、残っているとしても化石レベルでは?
では、世界ではどうだろう。
世界ではアフリカ地域や南アジア地域などで女子の就学率が低い。
女子教育の重要性と課題|世界の現状と普及に向けた取り組み
プラン・インターナショナル
理由は、貧困が原因で就学の優先順位が男子の方が高いために女子は学校にいけない、一部宗教では女子は教育が必要ないと考えられている、女子が教育を受ける環境が整っておらず学校に通い続けることが困難、など。
上記のプランインターナショナルの記事で、”給水所を設置し、女の子を水汲みから解放”とあるが、このように国や地域全体の生活環境の改善が女子の就学率改善につながるというのは筆者にとっては目から鱗だった。
優先順位的に男子が学校に行って女子がいけないという話は、女子は家庭での仕事があるなどという理由もあるようだがなんとなく腑に落ちない。
それらの地域では男性しか働き口がなく、学歴を持つ意味が男性にしか有効でないということだろうか。
力仕事ばかりの時代や狩猟の時代ならば男性は外で仕事、女性は内で仕事というイメージがなんとなく湧くが、たとえば現代の日本でいえば男性でなければ難しい仕事というのは限られてくるだろう。
教育が受けられなければ、働き口がない・収入が上がらない。
そうすると教育が女子には必要ないと優先順位が落とされる。
負のループだろうか。
宗教的な話では、タリバンに銃撃されながらも女性が教育を受ける権利を訴え続けているマララ・ユサフザイさんの国連本部でのスピーチが有名だろう。
マララ・ユサフザイさんの国連本部でのスピーチ(2013年7月12日、マララ・デー)
マララ・ユサフザイさんノーベル賞受賞スピーチ全文(2014年12月10日、ノーベル平和賞授賞式)
イスラム教では本来、男女にかかわらずしっかり勉強しなさいといわれているそうなので、誤解なきよう。
過激派の曲解でイスラム教すべてが風評被害を受けるのはよくない。
女性の就学率が低いと出産などで命を落とす確率も上がるというデータもあるそうだが、男女にかかわらず教育が受けられないというのは皆にとって不利益なのではないだろうか。
教育を受けさせないというのは愚民化政策そのものだ。
女性に教育を受けさせない方が都合のいい者がかつてはいたのであろう。
ジャンヌ・ダルクがフランスを勝利に導いたように、いざとなったときの女性は強い。
その力を恐れたのだろうか?
女性に教育は必要か?
その答えはYESの一択だ。
コメント